2030年富山県の人口構成

 このまま緩やかに人口が推移すれば、2022年現在に比べて、2030年頃には、幼稚園・保育園の児童は1割程度減少し、小学校の生徒は2割減り、中学校・高校では3割程度学生数が減少する。一方、後期高齢者は大幅に増加する。人口減少はなだらかに減少推移しているので、富山の2030年は、私を含め年寄りばかりの県になることが予想されている。


 この2007年~2022年の15年間で学校の廃校、消防・警察などの地域インフラの主幹の移動などが水面下で着実に実施されてきたが、2030年の高校生数は、富山県内高校廃校検討前の2007年に比べ、約50%程度に減少する。更なる教育インフラのコンパクト化が求められると考えられるが、2020年~2030年の10年は、2007~2020年までの2倍の速度で子供の数が減少するため、急ピッチで子供人口が減少することが分かっている。

 

 一方、高齢者用の施設は2024年に不足がピークに達し、その後飽和するとの予想が行われている。主に過疎化した田舎ではなく、都会でその影響が発生することが分かっている。そのため、2015年頃から、都会を捨て郊外施設での終活を見据えた人達向けの施設の誘致が地方で活発に取引されてきた背景がある。

 

 学校においてはエネルギーの30%程度を費やす部活動が地域クラブ主体で実施されるようになった。部活動は令和5年度より完全地域移管が実施開始されるが、この背景として、全国的な学生数の減少に伴い、学校単位での部活動の存続・維持が困難になり、各種競技の大会が学校別で実施困難になると予想されているからである。この部活動の地域移行は、全国的な部活動の崩壊が起きる前の解決手段の一つと捉えられている。そのため、10~15年の時間をかけ段階的に、かつ早急に部活動の地域活動への

移行が求められている。

 

  一方、初期・後期高齢者の学びとしての学校の再構築という新しい流れも海外では発生しており、日本の教育機関もその動向を注視しているところである。後期高齢者増加問題は、前述の学生数減少問題の様に、増加とその逆現象の様に、ある程度の終着点予測がつく問題に対して、終着点が定まらない研究の意義が大きい社会課題となっている。

 

 企業活動では、2005年過ぎから既に新規採用に人が集まらないという状況が続いている。経済学の古典的な考えでいえば、これは景気の浮き沈み、施設投資と密接に関連して考えなければならない案件であり、海外事業を持つ企業、持たない企業など、各企業の環境状況によって大きく状況が異なる。と、いう現実も考慮する必要がある。

 日本国の殆どを占める中小企業の売り上げは内需によって支えられてきた。大局的に内需が減少するのであれば、生産数を減らし、会社を戦略的にスケールダウンし、他の売り上げにつながる産業への転換を図る。ということが求められる。「需要と供給バランスは崩れず、新しい産業が発生する。」と、いう比較的明るい見通しが予測される。では、何が大きく変わるかというと、「今ある業種が消え、新しい業種が発生し、その対応に追われる。」という状況である。

 

 多くの予測では日本国のGPDは一定を保ったまま、高齢者数が増加し、子供数が極端に少ない社会が到来すると言われている。2010年、2020年のインフラと、2020年、2030年のインフラで求められるものの差に、大きなビジネスチャンスがあると考えられる。

 

 それを実現するには地域力・レジリエンスと包括的にまとめられた、国内および地域の産業構造・人口構造・地場資源など複雑多岐にわたる要因を統括する様な企業・大学を中心とした共存・持続性に対する信念を共有する様な地域型シンクタンク、昔ではベンチャー企業育成、現在ではアントプレナーシップというような概念と思われる。これも、Society5.0の次元の話として10年以上前から、ESD、SDGS、など国連を中心とした計画として動いているが、各国の教育の浸透・教育レベル向上に時間が掛かっている現状がある。(事実私が研修を受けたのは2009年以前の話です。)

 

 私個人の意見では、すでに2006年に頃に世界的にパラダイムシフトが起きており、いち早く反応した地域と、遅く反応している地域で、10年、20年後の発展に差が出るだろうと感じている。

 


草刈り、除雪という重労働から解放して欲しい。

 2009年の夏に教員宿舎の草刈り共助作業が破綻したこと、2009-2010年の冬に同じく除雪共助作業が破綻し、生活維持が困難になったことから、小職は「少子高齢化のインフラにおよぼす影響について調査・研究を始めている。」のらりくらりと研究が進むにつれて、2020年には、後期高齢社会が到来して、現在は「後期高齢者消滅可能地域における社会課題とその支援方法に関する研究」に研究内容が変わっている。

 

 研究当初では、文献調査を行うと膨大な量の少子高齢化に関連する研究報告があった。調査できる範囲内で一番古い記事を検索したところ、1990年代に少子高齢化が社会インフラに与える影響を書籍にまとめている研究があった(大野 晃『山村環境社会学序説: 現代山村の限界集落化と流域共同管理』農山漁村文化協会、2005年。ISBN 978-4540042997)。この研究の良いところは、長期に渡って高知県の過疎地域を統計的に調査し、その研究結果から基に、1990年代において、将来の対象地域の人口予測と、それに関わる市町村消滅の予測を行っていることである。しかしながら、将来予測に関する検証は、その後行われていなかったため、検証研究として2018年9月20日に電話による対象地域の追調査を独自に実施した。書籍によると2030年頃には物部、大豊、池川、吉川、吾比、大月、十和の7つの市町村が消えると予測している。電話調査の結果、既に該当市町村の多くは、2000年の平成の大合併で、色々な市町村と合併し、単独では大豊と大月の二つの市町村以外消滅していた。この結果から、1990年代の大野の予測よりも早く末端集落が消滅していることが分かってきた。大豊町の役場に当時の調査研究と、その後の経過を知る職員が居たため貴重な証言を得ることができたのでそれを報告する。

 

1.予測以上の速度で人口減少が起き、移動できる家族は移動したが、移動できない家族は留まり、その後ゆっくりと人口が減少している。

2.人口が減少するものの人が居なくなっての消滅ではなく、インフラ効率が極限に低下し、市町村のサービスが維持できなくなり、合併という名のもとに市町村の名前が消滅した。行政上消滅した地域にも現在も数戸家が継続して残っている。

3.税収が少ないため、インフラに投資することはほとんどできない。直近で困っていることは、既存の道路のわきの草刈りを行うことができず、危ない交差点が発生しているので、住んでいる人達の善意によって何とかインフラ活動を行っている。

 

 2022年10月の段階でAmazonのお勧め機能で「山下祐介:”限界集落の真実”、ちくま新書(2012)」の存在を知った。この書籍に記述されているように、限界集落の消滅は、行政による区画再整備に伴うもので、そこに生きている人が居なくなったという事ではない。物理的に消滅したわけではない。大野晃(2005)に示すように、共同インフラ維持が極端に困難になり生活が難しくなる。が、本当の正解のようである。が、地域に継ぐ者がおらず、高齢者の数が減っている地域もあり、今後数十年のスパンでは、本当に消滅する地域が出てくるかもしれない。47都道府県で1000年以上続いて来た文化が、いずれ子供のいない地域では途絶えると予測される。持続継続可能な地域とは、文化を受け継ぐ子供の数が重要に思われる。

 


自分も含め周りに若い人が居ない。

  国立社会保障・人口問題研究所 (ipss.go.jp)日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)|国立社会保障・人口問題研究所 (ipss.go.jp)に各都道府県市町村の2045年までの人口統計の予測値が示されている。恐らくこの予測通りに人口減少が発生し、同時に高齢化が進むものと考えられる。日本国内では、地域によっては人口減少が発生しない地域もあり、地域格差が大きい問題となっている。また、地域によっては30%近くが空き家になっているが、従来空き家問題といえば、商業施設の空き家が主であったが、小職の研究対象にしている地域は、過疎化が進み個人宅の空き家が目立つようになってきており、問題が深刻化し、新しい社会課題にシフトしつつある。

 

 さらに、金沢大学を中心とした日本の過疎化地域の医療に関する統計データによれば、後期高齢者の20%程度がアルツハイマー型認知症と指摘されている(2021年7月、日本学術会議・北陸支部会議特別講演)。30年後には殆どの地域で後期高齢者の割合が増加するため、後期高齢者の医療体制の整備は、地域を巻き込む波及効果の大きい新規課題となっている。地域での人的関りの仕組みづくり、食事療法、新薬の開発など多岐にわたる課題解決方法が検討されている。小職の着目している後期高齢者地域の除雪研究の観点からすると、既に後期高齢者の多い地域では、地域全体が降雪自宅遭難するなどの新規の地域課題も発生している。

 

 西欧・東欧にみられるような人口減少による社会システムの変化が今後日本でも発生すると思われる。特に英・仏・独・伊・西班牙など、人口オーナス状況でも科学の力による国力維持が何とか出来ている地域の政策を参考に日本独自の生活スタイルが新たに形成されてくると予想される。本研究室では2030年、2045年に想定される最悪シナリオの内、研究室の資源を持って科学的知見を基に克服できるであろう新たな社会課題について研究を進めている。


 しかしなが、大野が消滅を予測した地域に新しい光が灯りつつある。藻谷の報告によれば、大野が消滅を予測した大豊町では、CLT建築資材の獲得、間伐材を利用した再生エネルギーなど、地域力をフル活用した、過去数万年継続実績のある里山資本主義が再生しようとしている。それらを参考に、地域に生きる人が最大限幸せを感じられるような研究を続けている。

 

 


コンパクトシティー化が上手に機能しない理由

 私は仕事柄、後期高齢者の除雪研究を続けているが、その過程で色々な地域の高齢者問題に関する調査を行ってきた。下記に示す「山下祐介」氏の著作に書かれていることが現実に富山県内でも起きている。

 

 色々なメディアや、統計資料から見たコンパクトシティーの概念と、実際に歩いてみて感じたコンパクトシティーの概念には大きな乖離がある。前者は当事者意識が欠けている。後者は当事者からの下からの意見である。という違いがある。批判する訳ではないが、現実問題として、行政の示すコンパクト化は行き過ぎた感がある。地域の当事者からすれば、多少不便でもサービスを継続して欲しい。という切実な意見もある。そのような行政と当事者の思わくに乖離が存在する状況のため、コンパクトシティ化が上手に機能していないと思われる。

 

 人を移動させるよう事業を行政は期待しているかもしれないが、それは切られた地域の全てのインフラを放棄する。昔の言葉で良いならば、「田分け者」になる可能性もあり、各地方では慎重な議論が必要とされる。が、実際には半強制的に「小学校の廃校」が、実施されている。小学校が廃校になった地域で人口が戻るという話は希であり、慎重な議論が必要とされる。「小学校を廃校にするのではなく、地域インフラを全て放棄する。」という概念で話を進める必要がある。

 

 高齢者増、人口減という、今まで何度も文明が抱えた問題ではあるが、その解決の糸口は見えない。地域の資源にあった社会構造というものがあるかもしれない。その一つとして、科学的知見に基づいた議論は必須である事は間違いない。さらに技術による利便性向上も期待されていると思われる。

 


歴史・統計量からみた都市の形成過程からの逆考察

 著者が学位を受けた「生産システム」という学科では、イギリスにおける産業革命、フランスにおけるフランス革命、アメリカでの石油の発見、ウエスタンインパクなど、時代毎の主エネルギー源の変遷、生活を賄う生産システムの変遷を歴史の流れを一致させながら学んだ。院生時代には計量経済による将来のエネルギー予測と、台頭する国家およびそれに合わせた「生産システム」について学んだ。

 

 著者が調べた限りの資料を基に、過去100年の日本の流れを再考すると、かなり偏った意見ではあるが、1945年以前に生まれた人達の希望の就職先は田圃・畑で非常に現金収入が高かったことが分かる。当時の医療技術の未熟さや、人手不足を補う形で、多産時代があった。特に九州の縦の長さとほぼ同じ長さで、広い田圃を持った新潟は、当時の県内人口は多く、また有名な小さな神社や寺が多い。これは、当時の多くの県内人口を束ねてきた祭事の中心として機能してきたインフラの痕跡である。

 

 戦後復興の過程で開墾が一段落すると、農村に生まれた次男達に分ける田圃が無い。という問題が発生した。次男、三男、…と、長男以外に生活の糧を得られない若者が地方で多く発生した。それら団塊の世代の労働力を吸収し、報酬を与えることの出来た地域は限られており、東京、千葉、大阪、名古屋、広島、福岡などの工業地帯が形成された。世界の流れに丁度あうように、安価で大量な労働力は、「メイドインジャパン」ブランドを形成するまでになった。合わせて、盆、正月の帰省を効率よく実施するために、新幹線、高速道路が敷設されるようになり、地方の隅まで国土交通関係のインフラ労働が行き渡り、景気が異常に拡大した時期があった。一般にこのような現象はどの国でもタイミングが合えば発生する景気拡大で、「人口ボーナス」と呼ばれている。

 

 衣食住の言葉に表されるように、団塊の世代が運よく結婚するようになると、住宅が異常に売れる様になる。ローンを組むことが必要とされるため、「住宅金融公庫」なる国指導による安定したローンの提供があった。その波の隙を縫って、不動産事業による過剰な地面の値上げが始まった。我先に借り入れ、買い付け、売却を繰り返すものだから、地面の価格は異常に値上がりを続けた。バブルが発生した。…以降省略。

 

 エジプト文明以降の資料記録を見ても、歴史上有名な文明は、人口が増加した後は、人口が減少するようである。歴史資料から数パターンの減少過程があるが、日本のパターンはどれに当てはまるかは、あえてここでは伏せたい。話を進めると、人口が減少しようが、増えようが、自国民によって、自国民の生活を賄う産業構造が維持されれば大方問題は発生しない。それに加え、1945年以降は、グローバル化の結束がより一層強固となっており、他国との協調性が求められ、自国勝手な行動は行えない。

 

 特に日本は資源が無く、敗戦国という事実がある。その様な制約の中で最大限に国民の生活レベルを向上させる科学を発展させることが自国の利益を生む。さらに国際的に認知されるような科学の発達であれば、世界的にも日本が高く評価される。その様な教育が求められる。その様な考えを大切にしたい。国土強靭化の元に色々な産業で基盤技術の見直しが行われている。今の時代を生きる日本に住む人が、より良い世界を創ると思い続け行動を起こせば大方問題は発生しないと思われる。世代、業種、立場の垣根を越えた何らかの存在が安定した生活を創るものと思われる。それは、昔も今も変わらない、安心・安全・平和という「生産システム」の理念である。

 


 参考文献

1.大野 晃:山村環境社会学序説: 現代山村の限界集落化と流域共同管理、農山漁村文化協会(2005)

2.藻谷浩介:デフレの正体 経済は「人口の波」で動く、角川新書(2010)

3.鬼頭 宏:2100年人口3分の1の日本、メディアファクトリー(2011)

4.増田 宏也:地方消滅、中央公論新社(2014)

5.河合雅司:未来の年表、講談社現代新書(2017)

6.河合雅司:未来の年表2、講談社現代新書(2018)

7.国立社会保障・人口問題研究所:日本の地域別将来推計人口(随時更新)

8.サミュエル・ハンチントン(著)、鈴主税(翻訳):文明の衝突、集英社(1998)

9.田中明彦:新しい「中世」21世紀の世界システム、日本経済新聞出版(1996)

 

10.藻谷浩介:里山資本主義、角川Oneテーマ21(2013).

11.山下祐介:限界集落の真実、ちくま新書(2012).

12.「図解 ひと目でわかる地方消滅」、宝島社、(2015).